◎小雨がぱらつく函館のホテルから、今回も観ておきたい場所に向かいました。ここは函館北斗にある三石と言う場所の、トラピスト男子修道院であります。真ん中に手摺のあるこの坂道を上ると門があり、振り返ると長い直線道路があります。道路の遥か向こうは海が見えるのです。
◎こちらが坂の上の門でありますが、こちらが開いたのを見た事がありません。そしてまた振り返ると真っすぐ伸びた道が伸びて、坂の下の左側に駐車場があります。一見建物のように見えますがこれは門でありまして、両側に部屋があり昔は門番でもいたのでしょうか。
◎門の奥にはしっかりとした鉄格子があり、まるで刑務所のような造りであります。一度入ったら出られないような場所ですから、ぴんとした湖沖が張っています。このままでは修道院の建物が写せないので、格子の間からカメラを入れてカメラだけ進入して写しました。
]]>
◎函館のホテルで一夜を過ごし駐車場に来ると、さっきまで雨が降っていたのか車が濡れていました。函館で雨に降られた事が無かったので、今回のこれは初めての体験であります。昨日ホテルの窓から見えた大門横丁に行き、ちょこっと写真を写そうと近くまでやって来ました。
◎大門横丁は何度か来ていて昼間に鮨を食べましたが、夜に来るのは気が引けて一度も来ていません。このように雨模様で一時的に止んでいますが、何時また降り出すか分かりません。取り合えずここは飲食街ですからゴミがあると思いましたが、さすがに日本は綺麗に掃除してあります。
◎こんなに色々な飲食店がたくさんあるのに、なんか億劫で孤独のグルメにはなれません。それはともかくここには公衆トイレしかありませんで、酔っ払いが流擁するので汚れている筈。と思いましたが掃除の人が早朝に掃除するのか、トイレも綺麗になっていて驚きました。
]]>
◎こちらが今回お世話になるユニゾインエクスプレスと言うホテルで、函館駅より歩いて7分くらいの場所にあります。こちらの近くにあるテトラホテルには何回か宿泊しましたが、新しく出来たホテルでリーズナブルと言う事で予約しました。さっそくチェックインして寝転がります。
◎宿泊料が安いので寝るだけの仕様ですが、車中泊より広いベットでゆったり出来ます。窓からは光の屋台大門横丁が見えますし、左の方に行くとマックスバリューもあります。素泊まりなので夕食の買い出しに出て、函館の産物で出来た鮨などを買いまして部屋に戻ります。
◎夕食を買いに出た時にホテルを外から写しましたが、ホテルの明かりが点き完全に夜モードに入ります。夜になったら大門横丁を覗きに行こうかと思いましたが、独りで飲み屋に入る勇気も無く行きませんでした。私の部屋は4階くらいだったでしょうか、駅とは反対方向に窓があります。
]]>
◎ここ立待岬から見える函館は、湯の川温泉方面から恵山方向です。高いビルが並んでいますがみんな温泉ホテルで、都市のようなオフィスはほとんどなく、休養や癒しを求めて来る客の施設であります。何度も函館に来ていますが湯の川温泉には宿泊した事はありません。
◎そしてこの海の向こう側は青森県で、海は津軽海峡になります。青森県に面する函館山は断崖絶壁が多く、何か施設を建てるにも費用が掛かるので出来ません。唯一あるとすればこの立待岬の駐車場くらいです。ここの入口には墓地がありましたが、向こう側の端には外人墓地があります。
◎今日はいろいろと函館観光をして来ましたが、見ての通り夕刻の景色になって来ました。本日は函館駅の傍にホテルを予約してありますので、これからチェックインするためホテルに向かいます。立待岬の最後にハマナスの実を写して、本日の函館観光を終了する事にしましょう。
]]>
◎車を置いて歩いて両津の町を散策していますが、これは何と言うか旨そうな烏賊であります。これは私の好きな一夜干しだと思いますが、本土では回転干しと言いまして回して干すのです。この状態ですと猫や鳥やハエの思う壺で、盗られないかと心配になりますが美味そうです。
◎この様な軒先が繋がった歩道を雁木造りと言いますが、雪国には良く見られる造作であります。考えるにここは新潟県で雪国でありまして、冬の景色を思い浮かべてしまいます。歩いていると赤い看板がありまして、名物の団子ではなくて文弥人形芝居と言う文字であります。
◎前に佐渡は京都の影響を得ていると書きましたが、この文弥人形芝居も文楽の模倣から簡素な形に変化するのです。文楽浄瑠璃の芝居を少ない人数で熟し、観客を楽しませる島の工夫でもあるのです、佐渡は小さな島ですが上方の文化が詰まっています。そこが佐渡島の面白いところです。
]]>
◎こちらは佐渡島の妙宣寺|新潟の観光スポットでありますが、どう見ても京都の佇まいにしか観えません。この佐渡島は京都の影響が大きくて特に寺院仏閣がその様です。よく各地にある小京都なんて町がありますが、この佐渡はその中でも島京都なんて雰囲気なのでしょうね。
◎この五重塔は何のためにあるのか調べましたら、五重塔は天と地を結び、亡き人が通ずるところを意味してます。 大きな寺院の境内にそびえたつ五重塔のその姿の優美さは美の極致といえます。塔という言葉の語源は「ストゥーパ」という言葉で、「天と地を結ぶ」という意味です。
◎と言う一節と、これは一つの推測でありますが、宇宙と通信するためのアンテナなのでは。教会やお寺などに高い塔のようなものがあるのは、大宇宙の気(エネルギー)を受けるもの。関暁夫の都市伝説: 信じるか信じないかは あなた次第です、なんて不思議を感じる存在です。
]]>
◎昨日お楽しみと書きましたがそれはこちらで、谷地頭温泉と言う市民の憩いの湯です。最初に来た時は市営でしたが民間に引き継がれ、市営の文字だけ取りまして営業しています。銭湯並みの料金で広いローマ風呂があり、赤錆色の少し熱めの温泉で、露天風呂もあるのです。
◎熱めの温泉にゆっくり浸かった後は、熱さましの意味もあり立待岬に行きます。岬に行くには墓地を通って行きますが、この御墓は石川啄木の家族の墓と書いてあります。この道の突き当りが立待岬の駐車場になりますが、此の時価は陽が落ちるのが遅いのでまだ明るいです。
◎ここでまたパノラマ写真ですが、水平線を中心に写すとこんな感じです。下の道は直線なのですがこのようにUの字に曲がってしまい、これを実景のように写すにはかなり後ろの空中からになります。ドローンでもなければ無理な話で、これは流行のAIで直すしかありません。
]]>
◎しばらくこの仄暗い室内で微睡んでいると、ショーウインド効果が充満していると感じます。全体が薄暗くて見せたいものに照明をあてる、そんな心理的演出がここに留まらせるのでしょう。それにしても人形の家と言うか不思議な空間で、旅の疲れを忘れさせる時空です。
◎今まで色々写真を写して来ましたが、他の人が居ないと言うのが信じられない。何度も来ている明治館ですが赤レンガ倉庫と同様に、コロナの影響なのか工事中で敬遠されたのでしょうか。こちらの一階にはガラス工房もありますが、どこも客の姿が無いので静かであります。
◎しずかなこの空間で過ごすのも良いのですが、そろそろ行きたい場所があるので明治館を去ります。外は雨が降っていないので、しばらくは雨の心配も無いと思います。行きたい場所と言うのは、函館に来ると必ず寄る場所でありまして、それは行ってからのお楽しみです。
]]>
◎何度も明治館に来ていますが、こんな足場のかかったのは初めてで、なにか現在と過去を繋ぐタイムドアのような気がします。この明治館は金森赤レンガ倉庫とは少し違っていて、趣味趣向の傾向が強いブースが多いのです。まるでぬいぐるみを集め過ぎたコレクターのようです。
◎本来の郵便局でしたら二階吹き抜けでも、こんなに照明は下がっていません。この天井の高さが開放感があり、過去の時代を演出してくれるのです。この空間で貸衣装を纏い背景を鹿鳴館風にすると、本物のタイムスリップを経験出来るのです。可能なら私もしてみたいです。
◎タイムスリップとタイムリープと言うのがありますが、スリップは予期せずにと言う事で、リープは自分の意志でと言う違いがあります。こちらの古時計にはそんな力は無いでしょうが、私はタイムリープをするにしても、帰り道が約束されていなければリープする事は無いでしょう。
]]>
◎こちらの路面を見て頂くと分かるように濡れているので、通り雨があったような感じです。雨上がりの函館は雰囲気があって良いのですが、私は傘が車の中で今降られると困ります。通り雨なのか序章なのか分かりませんが、朝の内は青空が出ていたので一時的だとは思いますが。
◎あの赤レンガ倉庫の入江を渡る自動車道を渡り、車に戻ろうとしましたが大事な事を忘れていました。この駐車場は二時間無料の条件として、1000円以上の買い物で印を貰うのです。まだ買い物をしていないので、この表道りにある赤レンガの明治館と言う場所で買い物をしましょう。
◎この様子だともう雨は降らないかも知れないので、傘を持たずに明治館まで行きました。明治館に着くと工事中でありまして、足場が組んでありましたが開店しているようです。何の工事か分かりませんがかなり古い建物で、旧函館郵便教区だったそうで老朽化の外壁工事でしょうか。
]]>
◎赤レンガ倉庫の出展ブースですが、コロナ流行前は隙間のないくらいでした。あのパンデミックから数年でこの様になり、人影も寂しい状態になりました。これを写したのは去年の7月でありますから、徐々に観光客も回復傾向にあるでしょうが、ウイルスの怖さは計り知れません。
◎ウイルスの怖さは実際の病気を患うのと、マスコミに影響された風評と言うものが破綻を生み出すのです。かってはお土産ショップや雑貨店で賑わっていたのですが、現在は休憩所としていても人は少ないです。確かに危険な情報は必要ですが、人間は恐怖を感じて外に出なくなります。
◎金森赤レンガ倉庫の前ですが、こんな場所でタクシーが客待ちするのは珍しいです。西波止場のラッキーピエロも行列は無く、中からの喧騒も聞こえません。早く人の心から恐怖が消えて観光に来てほしいのでしょうが、半年一年先には昔の賑わいが戻って来るのでしょうか。
]]>
◎両津港周辺を散策しようと地図を検索すると、まだ行って居ない酒蔵を発見しました。それは真野湾に近い場所でしたので、両津からも遠くないので行って見ました。逸見酒造と言う場所で銘柄は、真稜と言う名の酒でした。ひっそりとした酒蔵で忍び足で入って行きました。
◎店内に入り御免くださいと言いますと、中高生くらいの女の子が出て来ました。女子とはいえ子供に見栄を張る事もないので、安い酒を買いまして出て来ました。あまりにも天気が良いので真野湾に来まして、しばしのんびりと海を眺めていて、こんな場所で拉致事件があったのかと思いました。
◎真野湾から両津港に戻る途中で、何やら五重塔があるような石塔を見付けました。佐渡と言うのは京都と縁がありまして、世阿弥や日蓮などの影響も深いです。こちらは国指定 重要文化財:妙宣寺五重塔と言う事で、これは一見の価値があると言う事で駐車場に入り見学です。
]]>
◎多用途支援艦ひうちの見学を終えて、甲板の降り口に差しかかりました。見えているのは旭日旗でありますが、お隣さんは何でこの旗にイチャモンを付けるのでしょう。朝日ビールを飲んで朝日新聞のコメントを参照したりするのに、この旗を海軍だと言い張るのはおかしいですね。
◎これは埠頭で子供相手の余興でしょうか、海自のキャラクターなのかカモメの着ぐるみです。本日の気温はみんな半袖ですから、中の隊員もかなり暑いでしょう。埠頭のテントでは記念品を売っているので、私も記念に支援艦ひうちのタオルなど買いました。結構面白かったです。
◎ここは佐渡のフェリーふ頭に隣接する埠頭ですから、ちょうど新造船の常盤丸が入港して来ました。新造船ですから錆色も無くピカピカで、佐渡を離れる時はこれに乗ろうと思います。さて佐渡島一周もしたのですが、まだこの両津港周辺を散策していないので歩いてみたいと思います。
]]>
◎それでは赤レンガ倉庫の外回りを散策しようと思いますが、こちらの小さなハウスは函館コロッケの店であります。コロッケ何てどれも同じようですが、何とかラーメンのようにご当地で売るグルメな訳です。ここは渡り廊下から見た人工運河の橋で、小型の船が出入りします。
◎その昔は貿易港では船の荷物を小さな船に乗せ換えます。そして倉庫に荷下ろしするので、トラックよりも運河が必要でした。ですからこの様な人工的な入江が必要だったのです。今でもこの入り江から出入りしています。今ではコンテナと言う箱で輸送するのが通常ですね。
◎コンテナの時代には倉庫はいらないので、この様な倉庫はお役御免になりました。その跡地を再開発と言うのもあるでしょうが、昔のノスタルジックな街を残し、タイムカプセルのような利用が好まれたと言う事でしょう。解体建築の費用を抑え観光施設として再利用した倉庫街です。
]]>
◎函館の赤レンガ倉庫の周辺を観光する方は、こちらのショートベイがあるのを勘案してください。運河のような水路が入り込んでいまして、エリアが分断されているので迷わないでください。ショッピングは金森の方でありまして、道路の陸橋で別のエリアが分れているのです。
◎こちらは水路を渡った金森倉庫のエリアであります。二階の高さの渡り廊下でありますから、とうぜんこちらも二階になります。このコースは良く来ましたが今回は少し違います。観光客の数も少ないのですが空きスペースが多いので、未だにコロナウイルスの影響があり様です。
◎今まで色々なお店が出店していたのですが、現在はこのような空きスペースが目立ちます。コロナのパンデミック前は空きを捜すのが順番待ちで、コロナの脅威は病以外の風評の怖さを実感します。一度去ってしまった人達を呼び戻すまで、このショッピングモールは大変ですね。
]]>
◎函館基坂の駐車場まで戻って来ましたが、後ろに見えるのが旧英国領事館の噴水広場です。入庫してから55分程ですので、料金が上がる前に間に合いました。ここからさほど遠くない港の赤レンガ倉庫街に来まして、今度は有料駐車場でも条件付き無料の駐車場に止めました。
◎赤レンガの結婚式場のある駐車場で、1000円の買い物をすると二時間無料です。この駐車場からはオルゴール館に入り、中をスルーして二階に上がります。そこにあるガラス扉から渡橋を通りまして、向こうのショッピングモールに行くのですが、これが駐車場の最短距離です。
◎なぜ渡橋があるかと言うと、此処には入江のような水路があるのです。小型の船が入選できるように半運河があるのです。海辺にも自動車用の渡橋があり、車が通れる一方通行の道路があります。とりあえず向こう側のショッピングモールに向かいまして散策を始めます。
]]>
◎この大三坂は日本の道百選に選ばれていると言う石碑がありますが、この◎◎百選は色々ありまして名誉になるのか疑問です。この道の角にあるのが“やまじょう”と言う喫茶バーと言う店で、名前の通りカフェとお酒の店だと思いますが、レトロチックな佇まいの洒落た店です。
◎そして隣にある山荘風の建物は、カールレイモンと言うお肉屋さんです。函館では知らない人が居ないと言う、カールレイモンさんのソーセージは有名です。この向こうが旧カールレイモン邸だそうです。この大三坂の見所は以上でありまして、そろそろ車に戻ろうと思います。
◎駐車場に戻る途中に木造の素敵な家が在りましたので、ここは写真スポットなのですが一般の家のようなので少し遠慮気味。そして駐車場の前にはこ洒落たカフェがありまして、独りで入る度胸は有りませんが、連れが居たら入ってみたいです。これで函館山麓散策を終わりましょう。
]]>
◎大三坂を少し下るとカトリック元町教会がありまして、こちらも見応えのある教会であります。坂道の教会で歩く道は石畳と言えば、それだけで歌の歌詞になるような舞台であります。仏教ではお寺の鐘が在りますが、教会の鐘も無くてはならない装備で、人の心を集めます。
◎こちらの教会の門前にある石碑は何かと言うと、亀井勝一郎さんの生家と書いてあります。そんな大三坂に在るカトリック元町教会は内部を見学した事がありますが、荘厳な礼拝堂の中は静かでありましたが、一部のアジア系の観光客の話し声が大きくて残念な思いでした。
◎カトリック教会の前には見ての通りの仏閣があり、こちらも北海道では珍しい甍造りのお寺です。軒のもようや細工は銅板で加工され、それが緑青を吹いて味のある色になっています。この大三坂周辺は教会や寺院が混在して建ち並び、じつに良い雰囲気の坂道となっております。
]]>
◎多用途支援艦ひうち内部の見学に入りましたが、少し前のフェリーとあまり変わらない設備です。こんな二段ベットで知らない同士が一夜を過ごすより、自衛官同士の方が気心知れてましです。そして操舵室と言うか艦橋に来ましたが、こちらも連絡船で見た操舵席と同じです。
◎民間の船も自衛艦も造りとしては基本同じようですが、それに特殊機能が備わっているのでしょう。この時の内覧会は国民との理解を深めるためのイベントなので、差し支えない程度の装備は見る事が出来、舵や官庁席にも座る事が出来ます。とにかく初めて見るので興奮します。
◎こちらの設備にはいろいろな旗が収納されていますが、これは船舶の通信信号であります。国籍や目的などの国際的なプロトコルがあり、意志の伝心をするものです。甲板に降りて来ましたがテントの下では、何やらお偉いさんが集合していまして、儀式のようなものが行われます。
]]>
◎旅のベースとなる両津港に戻る途中で見つけた、はたの温泉と言う日帰り温泉に入りました。やっぱり温泉は癒されて良いのですが、余りに緊張感がほぐれると塚らがドッと出て来ます。それでも温泉から出ると生きる力が沸き上がり、さあ次は何処へ行こうかと漲ります。
◎両津港の船着き場で火照った体を潮風で冷やそうと来てみたら、何か小さめの海上自衛隊の船が泊まっていました。何でもこれは多用途支援艦と言う船で、ひうちと言う作業船であります。海上自衛隊の船でも防衛の船もあるのですが、救助や改修などなどの支援をする船のようです。
◎長崎港で護衛艦ありあけの内覧会に行った事がありますが、佐渡で海上自衛艦に乗るとは思っても居ませんでした。これが旅の面白さでありまして、偶然の出会いが思い出になるのです。この様な場面ではオジサンの本領発揮で、独りで乗船して見学しても威風堂々と居られるのです。
]]>
◎函館山麓でも教会が混在する地域として、この大三坂周辺が雰囲気があって好きです。こちらの細くて急な坂道は、チャチャ登りと言う教会の境目になります。「チャチャ」とは「おじいさん」の意。 あまりにも急な坂で誰もが腰を曲げて登ることから名付けられたそうです。
◎私がこの大三坂を好きな理由はその敷石道にあり、不揃いな石が引き詰められているからです。鱗のように規則正しい敷石道は、ある意味美しいのですが、この道は工事した人が隙間を考えて埋めたものです。言わば職人技でありまして、道路工事でも簡単には掘り返せないのです。
◎古き良き時代の敷石の坂を眺めていると、何やら下の方から懐かしい車が来ました。あれは日産に吸収される前のプリンス・スカイライン・1500ではありませんか。懐かしい車が古い坂道を走りますが、因みにこちらの街路樹は北国らしいナナカマドで、秋には赤い実が成ります。
]]>
◎八幡坂からさらに歩くと函館ハリストス正教会があり、此処には何度訪れた事でしょうか。現在は修復と言うか塗装を新しくしまして、こちらの門の色はイメージと違いました。これが劣化すると赤錆色になるのでしょうが、現在の色だと風格と言うか重みを感じられませんね。
◎中の聖堂も真新しい色になりまして、屋根は銅板の緑青色でありましたが、それに似たペンキの色になりました。良いのか悪いのか分かりませんが、塗装と言うのは衣装のようなものですね。外側を新調すると昔が見えなくなり、時の流れも封じ込まれ文化財の価値も無くなります。
◎以前こちらの門の前で似顔絵を描いていた、高齢の方が風の噂では亡くなったそうです。あの当時のチャペルの色や雰囲気が、すごく印象にあり、この周辺の教会が混在した雰囲気が良かった。そう言えば隣のヨハネ教会も塗り替えたのかな、やけに白が際立って見えます。
]]>
◎日向坂の上の方を見上げると鳥居が見えますが、あれは船魂神社と言いまして北海道の最初の神社だそうです。過去の投稿で何度か取り上げているので、今回は遠くから失礼しまして先に進みます。日向坂の次にあるのが八幡坂でありまして、そこの行く途中に粋なカフェがあるのです。
◎そのカフェと言うのは函館クリフサイドと言うお店なのですが、なんとこの店も不況の為か売りに出されていました、そのせいなのか蔦の絡まる雰囲気のある建物でしたが、現在は蔦も無く木の枝も選定されていました。場所としては良いのですが、残念な出来事であります。
◎これが八幡坂でありまして過去に何度も投稿していますが、正面に青函連絡船が見えるベストスポットであります。この坂の上には北海道函館西高等学校がありまして、そこの荷彫り坂から撮る写真は良いポジションですが、そこは日本人はマナーをわきまえて道路から撮ります。
]]>
◎さて基坂から定番の坂道巡りをして、函館山麓のお散歩コースを楽しみます。なぜかこちらの道は敷石の道になっていまして、歩いていても飽きないようになっています。アスファルトの道路ですと変化が無く、車優先の感じがしますが敷石ですと歩きを楽しめる雰囲気です。
◎基坂からロープウエイ方面に行くと、まずあるのが日向坂であり人気の日向荘と言う宿が在ります。この周辺も雰囲気が在りますが、旧函館区公会堂の塗り替えと同じくリニューアルしました。私は両方とも前の塗装が好きでしたが、新しい塗装ですと街が新しく見えます。
◎こちらが日向坂になりますが、もっと下の方は道幅が広いです。この坂は違法駐車が多くて、函館の坂でも駐車違反が多い場所です。しゅうへんはカフェやレストランの多い場所で、窓ひとつとっても良い雰囲気の店が多いです。日向坂と言う名前にも趣があり良いですよね。
]]>
◎函館西部地区元町公園からの函館の風景ですが、階段の手摺があったのでまたまたパノラマ写真です。固定するものがあると失敗しないので、肘を手摺について中央付近に水平線を合わせます。左の端に合わせたらシャッターで右に移動、右の印まで動かしマークに来ると終わり。
◎今回の旅ではパノラマ機能を良く使いますが、二枚の写真繋ぎですと明るさが繋がらない。繋いだ縦線が入るので不自然になるのですが、パノラマ機能を使うとその辺がクリアされます。超広角で写して上下を切り取っても出来ますが、それも編集に時間が係るのでこれが良いのです。
◎元町公園の背後、山側には旧函館区公会堂がありまして、これも横に長いのでパノラマで撮ってみました。御覧のように両端が遠くて近くが手前、変な歪が出来てしまいます。やっぱりパノラマ写真は遠景に適していて、近くの建物などを撮る時には離れた位置から一枚で撮るのが良いです。
]]>
◎さあここも上陸の次の朝に通過した北雪酒造でありますが、その時は朝ですから開店前と言う事で見られませんでした。本日は開店時間でありまして、暖簾も出ていていらっしゃいモードになっていました。よく見ると入り口のガラス戸に私が写ってしまいましたがマっいいか。
◎杉玉(酒林)が枯れているので季節は解ると思いますが、暖簾をくぐり中に入ると人感センサーでピンポン〜が鳴りました。奥から若女将が出て来ましたので、少し世間話をすれば買わない訳にはいきません。貧乏人と思われたくないので、見栄を張り少しお高い大吟醸を買いました。
◎北雪と言う銘柄ですからもっと北国をイメージしますが、こちらの佐渡も結構な雪国なのでしょうね。お酒を買いまして港に出ましたら、そこには海のパトカー巡視艇が停泊していました。色々な港を見て来ましたが、巡視艇を見ない所は無く、海の警察118を思い出します。
]]>
◎さてこの場所は佐渡に上陸した日に、通過しては居ました味噌の会社です。昭和のテレビコマーシャルでよく流れていた、みそ汁の宣伝で丸大味噌、マルコメ味噌、信州一味噌が有名でした。その中の丸大味噌は格調のあるCMで、コーヒーと並ぶ違いの分かると言うシリーズでした。
◎覚えている人も居ると思いますが、“歳月”と言う味噌は高級感のある味噌でした。時代の流れと言うか若者の米離れで、味噌汁の重要も減り経営が傾いたようです。パン食が増えてパンに味噌は不要だと言う事で、健康食品の味噌の製造元が製造に終止符を打ったようです。
◎昔よく食していた味噌汁の“歳月”が佐渡の味噌だと知った時に、その製造元が終わりを告げるとは残念な出会いでした。本社の建物にお別れの文章が書いてありました。工場の脇に赤い消火栓があり、消火栓に興味のある私は写真を撮りましたが、これも歳月を守り続けたのでしょう。
]]>
◎旧英国領事館を出て基坂の真ん中に来ましたが、此処で坂は左右に分かれ中心に元町公園があります。この坂道は急勾配なのでここでワンクッション、階段状にして平面を造っています。そのひとつがこの元町公園で、その上の段には重要文化財 旧函館区公会堂があるのです。
◎この元町公園の中に四人の銅像が在りますが、ダークダックスではありませんよ。この方々は函館所縁の街に貢献した人たちで、函館四天王像という銅像であります。もちろん四人が勢ぞろいした事は無いのですが、それぞれを一堂に集結した記念像なのでコーラスは唄いません。
◎そして元町公園にはこんな建物も在りまして、旧北海道庁函館支庁庁舎の建物になります。詳しい事はリンクにて観て頂ければと思いますが、当ブログでは説明を省きただの街歩きに徹します。このように元町公園は見晴らしのいい坂の途中にあり、市民の憩いの場所としてあるのです。
]]>
◎旧英国領事館の脇にある小径ですが、この辺りから先がバラ園になっています。みあげれば英国の国旗であるユニオンジャックがはためいて、異国情緒まんてんの小径であります。イギリス(英国)の正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」 です。
◎函館に来るとこのバラ園には必ず寄りますが、それはこのバラ園のさらに下がコインパーキングになっているからです。このバラ園は部屋から見えるように設定されていて、それはイギリスの国花がバラであるからです。ちなみに日本の国花はサクラでありまして桜は薔薇の仲間であります。
◎このバラ園から下の駐車場を見たら、我愛車がそこに止まっていました。バラ園の一番奥には洋式の白い四阿があり、小さな広場には噴水を囲みベンチがあります。なんと穏やかな庭でしょうか、水音が響きバラの香が漂い美しい洋館があります。こんな憩いの場所は貴重です。
]]>
◎二階の回廊から下のパティオ(中庭)を見ると、そこには世界地図が描いてありました。それはまるで世界の中心が箱館であるかのように描かれ、南米アフリカより大きく書いてあります。ここまでデフォルメしたものを見ると、驚きよりも笑うしかありませんが、そこに降りて行きます。
◎そして一階に降りて来て入った部屋には、いろいろと日用品が飾ってありました。これは売り物なのかよくわかりませんが、大英帝国とはかけ離れたような麦藁帽子やアンブレラなどがあります。そして出口になりますが、英国のキルトをまとった人がバグパイプを吹いています。
◎出口の右側には王様のガウンが展示してあり、記念撮影用でしょうか王様の椅子も在ります。英国の王は永きにクイーン・エリザベスでしたし、クイーンと言うロックバンドもありました。日本で天皇陛下と言うバンドは有りませんが、英国のクイーンは国民に愛されています。
]]>
◎こちらの展示品は英国領事館の歴史と、何度も火災に遭い現在に至ると書いてあります。この紋章は英国の紋章でありまして、王冠の両側に向かい獅子が彫刻されています。言わば日本の葵の御紋や菊の紋章のような、位を表すような意味合いの物だと理解できる紋章であります。
◎会合や会議の場と思われるシンプルな部屋があり、そこから長い廊下に領事館の歴史が飾られています。英国文化ですから廊下は当然土足でしょうが、ピカピカに磨いてありスリッパが欲しいくらいです。そして長い廊下の先には何があるのか興味津々で歩いて行きます。
◎この当時からアメリカとイギリスは同盟国ですから、ペルー来航の資料も張り出されています。廊下の突き当りには外に出るドアがありまして、二階の回廊になっているようです。ドアの脇には長身の軍人の彫刻があり、グレゴリーペック並みの男前の人形でありました。
]]>
◎さて函館の旧英国領事館の見学ですが、過去に一度内部の見学をしたことがあります。今回はもしかしたら最後の訪問になるかも知れないので、せめてもう一度見ておこうと思いました。函館は何度も来ていますがほとんど外周で、バラ園を廻り中に入ったのは一度きりです。
◎一階はお土産とかカフェがあるので入館料は徴収しないのですが、この階段の下にチケット売り場がありまして、それからウインザー調の手摺がある階段を上がるのです。二階に上がると最初の部屋は当然英国式の間取りで、調度品も純正の英国製でありまして輸入品でしょうか。
◎こちらの廊下のフローリングにしても厳選した材料で、とても重厚感のある木材を使用しています。次の部屋はおそらく領事室とみられる部屋でありまして、誰か双眼鏡で外を見ています。もちろん人形でありますがリアルな人形で、本物の領事さんに似ているのかも知れません。
]]>
◎小学校の廊下から窓の外を眺めると、白やピンクの花が咲いて綺麗です。小学校では身長が低いのでここから出入りしませんね。中学になるとこんな窓から出入りします。教室を見るとかなり古い用具ばかりで、人数も20人ほどの机が並んでいまして、小学生でも低学年でしょうか。
◎私が小学生半ばの頃にはパイプ椅子になっていて、それより前は木製で天板が開いた記憶があります。中学になるとこんな裏庭に呼び出され悪いグループに囲まれましたが、我らの番長に助けてもらいました。団塊の世代で9組もあり一組50人は居たので番長も大変でしたね。
◎そんな時代を思い出させてくれた小学校の建物でしたが、こちらにも小百合姉さんのポスターがあり、いつまでも美しい年上のマドンナである憧れの小百合姉さんです。さてこれから佐渡に上陸してから二度目の北上ですですが、一度目に見た場所ももう一度見てみようと思います。
]]>
◎こちらの民族博物館は右が千石船の展示で、左が佐渡の暮らしを展示するものです。見ても分かるようにこの建物は元小学校で、廃校になった校舎を利用したものです。とにかく古い建物で廊下を歩くとミシミシと音を立てる、言わば鴬張りの廊下でありまして私以外の音はしません。
◎この長い廊下は懐かしいような怖いような、子供のはしゃぐ笑い声が聞こえて来るようです。こんな古い建物に資料館と言えども、こちらの人形は反則技ではないでしょうか。見た瞬間に心臓がバクバクしまして、体が総毛だったではありませんか。一人でこんなとこ怖いです。
◎そして追い打ちをかけるようにまた一人、綺麗な女性の人形が居ました。ほんとうに悪ふざけのようで、全身を悪寒が走ります。民族資料館と言うのは生活感があり、誰も居ないと霊の存在を感じます。なるべく見ないようにして、小学校の在りし頃の教室などを見学します。
]]>
◎こちらに一人の銅像が立っていますが、この御仁はマシュウー・ペリー提督であります。私は黒船が浦賀に来たくらいは知っていましたが、函館に来ていた事までは知りませんでした。提督と言う事は海軍大将のことだと思いますが、開港の後に日米通商条約を結んだハリスも関わっているのです。
◎タウンゼント・ハリスは下田て斎藤吉と言う女性との物語があり、唐人お吉の逸話がありました。パリーにはその様な話は無かったのでしょうか。長崎ではピンカートンと蝶々夫人の話もあるので、きっとペリーにもあったかも知れませんね。そんなペリーに思いを馳せて次の場所へ。
◎こちらが函館西部地区の基坂で、正面に元町公園がありその先に重要文化財 旧函館区公会堂があります。そして左側にあるのが旧英国領事館でありまして、正面の青い門から入り二階の先は有料になっています。一階は無料で門から左に行くとバラ園がありそちらも無料です。
]]>
◎車であちこち徘徊していましたが西埠頭から西部地区を楽しまんと、一旦車を駐車場に止めて歩いて廻る事にしました。この駐車場は基坂(もといざか)の旧英国領事館の下にありまして、ここに来るといつも利用しています。坂に出るにはこのマドロス少年の像から上がります。
◎坂に出た所の標識には坂の上が書いてありますが、坂の向いにある貴婦人の像が気になり来てみました。外国の古いファッションの女性像ですが、洋画の中で見たような出で立ちです。さてこちらの広場はどんな場所なのか、キョロキョロしているとまたも銅像オブジェがありました。
◎この手の銅像オブジェは色んな場所で目にしますが、作家の作品と言うよりも公園の飾りのようなものです。そしてこのような看板があり、宇須岸館と書いてありますのでリンクしておきます。この坂が急なので広場を造るには、後ろのように盛り土をして段にする必要があります。
]]>
◎ここでパノラマ写真を二枚並べてみますが、見た感じを頭の中で繋いでください。上の左端の陸地と右の右端の陸地が、実際には直線であります。人間の頭の中ではこの作業を一瞬で行うので、繋がって見えるわけです。最近は360度カメラも出来ていますが、やはり人間の目が最高です。
◎パノラマの下の奥に見えて居るのがこの帆船ですが、これは純国産の洋帆船である箱館丸であります。箱館開港以来この港には数々の貿易船が入港しますが、貨物の受け渡しや出荷に和船では支障があるのです。そこで外国船の様式に合わせた陸揚げ船が必要になりました。
◎これは日本の船大工の親子が造り上げた、純国産の洋風の木造船であります。開陽丸のようにオランダで出来た船でなく、これで国際的に日本を印象付ける目的でもありました。外洋船ではなく湾内の荷役が目的の船舶でありますので、特殊な設備は無くてこんな場所で冷遇されています。
]]>
◎函館の外国人墓地から少し町に近い所に、函館どっくと函館漁港があります。ここで一羽のカモメが居たので観察します。ウミネコとカモメは似ていますが、一目で違うのは足の色です。カモメはピンクでウミネコは黄色、ウミネコは猫のように鳴きカモメはピヨ〜ピヨピヨと信号機の音です。
◎信号機と言えば最近その音も聞かなくなりましたが、視覚障害者用のスイッチが出来たからです。ここは函館どっくに隣り合う船着き場で、主に漁船などの基地になっています。イカ釣り船や小型漁船はこちらに居て、函館湾には観光用の船や大型船が停泊しているのです、
◎函館湾の入口には大きな船が出入りするので、小さな漁船はこちらに集結するようです。ふと見上げると先ほどまで居ました函館山山頂が霧に覆われて、ちょうど良い時に降りて来たのだと思いました。こんどは函館どっくの脇を通り函館湾の内海のほうに行ってみたいと思います。
]]>
◎函館山を降りて来て駅方面に来ると、函館ビールのビアホールがありました。いつも思うのですが車で移動する旅なので、この様な場所には縁が無く残念です。ふと思いつき函館山から見えた左奥の、外人墓地辺りから移動して函館どっくを巡り、こちらの赤レンガ街に戻ろうと思います。
◎そして一気に外国人墓地までやって来ましたが、法事でもあるのか車が墓地の中にありました。一概に外国人と言っても色々の国が在りまして、さらに日本で言う宗派の違いもあるので幾つかに分かれます。キリスト教にも宗派がありイギリス人やロシア人もいて複雑です。
◎墓石の形にもいろいろありますが、日本は火葬ですがこちらはどうなんでしょう。赤レンガの門が在りますが、あちらの中は中国人墓地になっています。骨になっても人種差別がありまして、国籍や宗教の違いによって墓地が変わります。さて墓地は怖いのでそろそろ移動しましょう。
]]>
◎こちらが千石船の船底でありまして、とうぜんここには米俵や食料を載せます。この当時はリフトやクレーンは有りませんから、荷役人が担いで載せるわけです。船を造る人や荷物を似せる人など沢山の職があり、庶民は仕事で稼ぐには良い時代で、戦争よりも平和に稼げました。
◎白山丸から降りて周辺の見学をするのですが、こんなものまで有り金精様と呼ばれる神仏です。そして白山丸の模型と言うか設計図のようなモデルで、船が大きいのでこれで説明するらしいのです。兎に角これはレプリカですから海に浮かべないので、本当に走るか分かりません。
◎それにしても大きな船体であり、地上高も半分は水の中です。名前は千石船のようですが実際は五百石余りで、他にも乗客を載せたりするのでしょう。北国などに米を運び帰り船には各地の特産を載せ、日本の流通を担ってきた船ですが、今では資料の船として静かに鎮座しています。
]]>
◎こちらは佐渡小木民族資料収蔵庫と言う長い名前の倉庫みたいな所で、最初は何があるのか分からず入りました。このような白い格納庫のような建物でありまして、脇の通路には漁に使うガラスの浮子が置いてあります。奥に入ると右側に入り口があり、大きな木造船が見えました。
◎千石船「白山丸」と言うタイトルと、新選組の池田谷大階段のようなものが在ります。取り合えぞ階段を登り上に上がってみましたが、こてはかなり大きい船であります。船と言うのは水に浮かべるものですから、地上に上げるとその高さは倍くらいになるようで凄いです。
◎千石船と言う事で石と言う単位は馴染みが無いので、ここはひとつググッて見た結果です。1石(こく)というのは米の量の単位で、大人も子供も男も女もすべて平均して、1人の人間が1年間に食べる米の量をいいます。現在の重さで言うと約150キロです。この1石の米が買えるお金が1両です。
]]>
◎函館山からの函館市内の前景ですが、左の端が函館どっくから外人墓地方面です。右の端が湯の川温泉や函館空港の方角で、さらにはるか遠くには恵山がある訳です。この景色を目に焼き付けておかないと、この年齢になると何時もこれが最後かと思うようになってくるのです。
◎眼下の函館どっくには貨物船のような船がドック入りしていますが、その向こう側の湾の端には津軽海峡フェリーのターミナルが見えます。船にも車のように車検のようなものがあり、海上保安庁のコーストガードも来ています。向こうのフェリー乗り場には双胴船も見えています。
◎函館の街から登って来るのはロープウエイで、過去に3回ほど乗りましたがあっという間です。夕方になると観光客が続々と登り、夜景の後の下りの行列が大変でした。一度ここの夜景で良いのが撮れましたので、あの行列には並びたくないので、それからは昼間に車で登ります。
]]>
◎函館山でいちばん天辺に在るのが放送タワーで、函館を見渡せる絶好の場所にあるのです。ですからここには高い放送タワーは無くて、どこからでも見える函館山がタワーなのです。東京スカイツリーと同じくらいの高さがあり、眼下には修復されたばかりのハリストス正教会も見えます。
◎隣の赤い屋根は聖ヨハネ教会で、建物が十字架になっています。ぐっと入り込んだ海が函館湾になります。こんな場所に居るとのんびりし過ぎて動きたくありませんが、次の予定もありますので下山の準備をしましょう。ぼんやりとして遠景は函館空港方面の景色であります。
◎最後にパノラマ写真をもう一度写しましたが、だいぶコツが解って来たので良いのが撮れました。この写真で言うと右側が津軽海峡で波が白く、左が函館湾で波静かで空が映ります。もともと函館山は島だったのでしょうが、波に運ばれた土砂で陸続きになったのでしょうね。
]]>◎五稜郭から一気に函館山山頂まで登って来ましたが、朝の函館山は車で登れるのでとうぜん車です。ここでパノラマ写真の登場ですが、ここに肘を付ける場所がありました。中心くらいに水平線が来るように撮ると、水平線は水平で(あたりまえ)あり見た感じも違和感がありません。
◎次はカメラワークの接近で徐々に近くなり、そこからパンして別の画像に移ります。そんな自分なりの楽しみ方で撮影しておりますが、べつにプロではないので決まった形はありません。それにしても私は函館山で雨に濡れた事が無く、遠くでが降る雨雲は見た事があるくらいです。
◎今いる場所は函館山の基準点でありまして、ここの高さが函館山になる訳です。そこに立っているテレビ塔や展望台はそれに属さず、あくまでこの場所が基準点です。もうひとつここに在るのは日時計で、あのシチズンが設置しています。地図と言えば伊能忠敬のレリーフもありました。
]]>
◎こちらが函館タワーになりますがタワーと言いましても電波塔ではなく、五稜郭を上から見て五角形を認識するための観光展望台です。もともともう少し低い四角形の旧函館タワーがあったのですが、五稜郭が大きいので全体が見えませんでした。そこでより大きく新築したのです。
◎五稜郭に入って来るとまず緑のトンネルが在りますが、これは藤棚でありまして時期になると藤が壮観であります。この五稜郭は郭と言う括りから城ではなく、行政を司る奉行所が中央にあります。米国の国防省にあたるペンタゴンの様で、大砲の的になる城などは無用の長物なのです。
◎五稜郭を設計したのは武田斐三郎と言う人で、なぜか観光客が顔を撫でるのでテカテカです。中央にある箱館奉行所は再建されたもので、現在は観光施設になっています。五稜郭散歩を終えて駐車場に戻りますが、この駐車場は二時間無用でありなん五分前に戻ってまいりました。
]]>
◎早朝の函館五稜郭にやって来まして市営駐車場に車を停め、徒歩にて五稜郭タワーの近くまでやって来ました。まずは函館のラッキーピエル五稜郭店の前まで来ましたが、早朝なので当然開いていません。こちらの石塔は箱館戦争慰霊碑と言うもので、箱館戦争の犠牲者を悼みます。
◎箱館戦争と言う文字が現在と違っていますが、箱館戦争の頃の明治二年頃は地名が箱館でした。そして明治三年頃には諸事情で函館に改名されたらしいです。ですからね明治二年頃までの名称には箱を使い、それ以降の物には函を使うようになったらしいです。函館夜景も然りです。
◎五稜郭や函館名所は何年も何度も投稿しているので、小さいサムネイルで一ページ九コマで表記します。朝の散歩がてら五稜郭の中をぶらぶら歩き、車の旅での運動不足を解消します。木製の橋と石塔のあるこの場所は五稜郭の正面になり、戦の時は橋を燃やしたりして落とすのです。
]]>
◎この宿根木集落は造船の大工が沢山いたと言う事で、帆船の端財や廃船になった木材が多かったと言う事です。こちらの絵の描いてある掲示板ですが、これは歳時記のようなものであります。よく見ると卑猥な踊りのように見えますが、これは立派な神事であり子宝の舞のようです。
◎これは宿坊の脇に張り出した軒でありますが、彫刻が彫られていて百年は経っているそうです。こんな所も船大工の細工だと思いますが、こんな場所にも匠がひっそりと隠れています。他にも見所はありますが佐渡上陸の時に見ましたので、宿根木集落の編はこれでおしまいにします。
◎宿根木集落は日本海の風雪に耐える為、この様な防風垣の中にあります。集落の外にこんなポスターがあったのですが、改めてこちらの隣には危ない国が在るのを思い出しました。曽我ひとみさんが拉致されたのも佐渡島で、危険な国の船がこの佐渡沖には出入りしているのです。
]]>
◎このように公開民家と言う観光地になっていますが、この宿根木集落が特別な街だからです。その辺の通りっ端の民家だ公開しても誰も来ませんし、興味も無いので来ませんね。その他にもこちらのお家は普通の古民家に見えますが、地元民や観光客を相手に喫茶店を営んでいます。
◎要するにこの集落は観光の町なのであり、ひとつの文化財の集まりなのであります。こちらの腰板と言う説明にもあるように、この集落には船大工が多く居て、木造船の端財や古い船をリサイクルして出来ています。通常ですとそんな家は少ないのですが、この集落には沢山あります。
◎私は消火栓マニアで各地の消火栓を見付けると写真を撮りますが、消火栓があると言う事は水道が整備され、こちらの川の半分の歩道は下に下水道が在ります。家々は古いようですが住人の暮らしは文化的で、飛騨高山とか木曽路の妻籠宿などと同様に観光の集落なのだと思います。
]]>
◎7月の朝は夜が明けるのがとても速く、午前5時頃にはもう明るいのです。早朝にホテルを出まして近くの水無海浜温泉を覗きましたが、この時間は御覧の通り潮が満ちて入浴出来ません。この温泉は海辺にある温泉で四角いプールのようですが、その昔は岩で囲んだ温泉でした。
◎私が最初に来たのは二十年は度前で、当時はこんな脱衣小屋も無く表で脱いでいました。旅行雑誌などで取り上げられて人気だ高まり、客が増えて来てぞ遺文サービスが良くなりました。それでも当時から混浴でありましたが、今は浴衣を着ての入浴ありで海水浴みたいなものです。
◎また今回も入浴出来ませんでしたが、かなり前に若い女性が入っていました。オジサンよりお姉さんの方が根性があり、オジサンよりお姉さんの方が歓迎されますよね。水無海浜温泉から函館方面に走ると道の駅なとわ恵山を通過、車中泊の定宿でしたが函館にも道の駅が出来ました。
]]>
◎こちらがホテル恵風の部屋でありますが、特に洋室を指定したわけではないのですが洋室でした。ビジネスホテルではないので一人では広いので、ゆっくりと過ごせそうで良かった。さっそくテーブルにパソコンを開いてWi-Fiを設定しますが、最近の宿泊施設はどこも完備していますね。
◎取り合えず温泉に行き旅の疲れを流しますが、以前に利用した温泉なので思い出しました。同じアングルの写真ですがゆっくりと温泉に行って居たので、すっかり陽が落ちて来て夜が来てしまいます。夜はテレビを見る事も無くパソコンで作業、明日の予定やメールなどの確認です。
◎おはようございます、これは次の日の早朝でありチェツクアウトの準備をして、まだフロントに誰も居ないので部屋の鍵を置いて外に出ます。四角い建物がメインの建物でフロントがある場所です。このホテル恵風は見納めではなくて、明後日にもう一度予約してあるのでまた来ます。
]]>
◎松前から白神岬を経由して函館方面に向かう途中、こちらが白神岬の展望台のある場所です。ここは北海道の最南端にあたる場所で、展望台があるのは晴れた日に竜飛岬が見えるのです。ここから岬を廻り木古内に差しかかると、函館新道の入口がありこれは好都合だと乗ってみました。
◎函館新道は無料区間で一気に函館空港まで通行出来て、今夜のホテルがある恵山までかなり早く到着しました。恵山の近くにあったセイコーマートに寄りまして、今夜の食事と晩酌を買い込みます。そしてこちらが恵山岬の灯台でありまして、こちらの灯台の近くにホテルがあります。
◎一般道で走ると暗くなるのは覚悟していましたが、函館新道のおかげで明るいうちにホテルに着きました。このホテルは恵山岬に一軒しかない恵風と言うホテルで、以前に入浴をした事があり今回宿泊を決まました。広い駐車場はホテルだけでなく、周辺の公園にも使われます。
]]>
◎こちらは開陽丸の甲板より陸続きの島カモメ島をパノラマで撮りましたが、手摺に肘を付けてじっくりと動かしたので上手く撮れました。陽気が良いので子供たちが海辺ではしゃいでいました。それでは江差から函館方面に身かいますが、江差の次は松前町と言う場所になります。
◎向こうに見える城が松前城になりますが、過去に何度か行っているのでパスします。それでも道路際にある道の駅松前には寄って行きますが、この日は気温が高くて外は暑かった。車は新車ですからクーラーが良く効いて涼しいのですが、この時期は7月ですから北でも暑いのです。
◎こちらの道の駅は本当に波打ち際で、風は涼しいのですが日差しがきついのです。オジサンにソフトクリームは絵になりませんが、唯一コーヒーフロートであれば許されるでしょう。それもスプーン付きでありまして、おじさんのペロペロは全くもって恥ずかしい限りです。
]]>
◎さて暗い船内から甲板に出て来た所ですが、外は青空が広がり日差しが暑いくらいです。船と言えばこちらの舵でありますが、当時の物は力が居るのか両面に在ります。帆船ですがスクリューもあるようで、ここが外国船の凄い所なので、当時の日本の技術では出来なかったのでしょう。
◎こうして甲板に上がると意外と大きくはないのですが、船内には色々な部屋があり広く感じます。もちろん大型のフェリーで来た人間からすれば小さく感じるかも知れませんが、当時の和船は千石船が最大であります。佐渡島で千石船を観ましたが、それより一回り大きく感じます。
◎一国一城の主とは言いますが、船と言うのは城のようなものです。これに乗りクーデターを起こし、蝦夷の国で独立を夢見た大将と同朋の夢は破れました。江差沖で錨を降ろしたので強風で沈没したのですが、航行中ならば沈まなかったかも知れません、これで開陽丸の編を終わります。
]]>
◎この辺りの家は民家を公開していて、それぞれ料金を徴収しているようです。普通の古民家のように見えますが、これらの家は船大工の作成になっています。船大工が家を造るとこうなると言う見本のようなもので、大工にも種類があり宮大工とか船大工しかり普通の大工も居るわけです。
◎面白いのは隣り合った家でも、大工の造った家と船大工の造った家が並んでいます。民家を建てると伝統的な日本建築の下見板張りの壁が向こう側で、船大工が家を建てると水の侵入を意識するので、板をびっしりと張り込みます。大きな船のような家になるので珍しいのです。
◎こちらは有名な三角家ですが道の都合からこの形になり、まるで船の舳先の様で有名になりました。有名になったもう一つは吉永小百合さんのポスターかな。この三角屋も中の見学が出来るのですが、住民の方は普段生活をしているので、住まいは普通の設備で水洗トイレにWi-Fiもあります。
]]>
◎最初に佐渡島に上陸した小木にやってきまして、こちらの古い民家風の建物は郵便局であります。外見は民家のようですが中に入ると、まるで何処にもあるような郵便局であります。こちらの郵貯ATMでお金を降ろして、これから前に見学した宿根木集落に行って見たいと思います。
◎こちらの集落は郵便局より下の方にあり、集落に郵便局の分局がありました。通路にはマンホールがあると言う事は、下水道が完備されていると言う事です。佐渡らしいマンホールの蓋ですが、他の地区ではこのタライ船を観ませんね。宿根木集落はこのように狭い路地がほとんどです。
◎この路地の名前が書いてありましたが、世捨て小路と言う路地だそうです。世間には浮世小路とか出世小路はありますが、世捨小路は寂し過ぎます。何やら誰々さんの生家と書いてありますので調べたら、地図関係の学者さんで幕末に世界地図を作製した方の生家のようです。
]]>
◎いろいろな展示物がありまして、何が何だか分からないものもあります。開陽丸の船内も人が生活している所で、お皿や砲弾などごっちゃになっています。これらは沈没した開陽丸の中から引き揚げられた品々で、それらを展示してあるのがレプリカの開陽丸の中であります。
◎この当時の砲弾は先の尖った流線形で、これが野球のボールみたいに球ですと曲がりますね。このように日本の知恵を越えるものが他国から入って来て、鎖国の日本が変化して行くのであります。この時代から世界の先進国になるとは、当時の人は考えてもいなかったでしょうね。
◎こちらの人形たちは戦艦の幹部たちでしょうか。見たところ袖の金線から思うに、4本線が艦長で三本が副館長でしょうか。艦長は榎本武明でしょうが、線の無い人は土方歳三ではないかと思われます。英国海軍のようないで立ちで、頭髪は丁髷ありの日本刀もある不思議な光景です。
]]>
◎さて開陽丸の船内に入って来ましたが、此処は軍艦の中なので武器があります。今も昔もとは言いますが日本の歴史から言うとそんなに昔ではなく、ついこの間くらいの昔の事であります。幕末から明治にかけて激変した時代の、刀が消えて行く時代の話であるのです。
◎こちらの方々は海軍さんの兵士で、作務衣に丁髷のスタイルであります。維新の過渡期に兵隊の服装からも分かるように、和洋が混在していた時代です。これだけ飛び道具が普及して来ると、刀のような個人武装は何の役にも立ちません。戦の規模がどんどん大きくなっていきます。
◎最近よく耳にする『力による現状変更』と言う言葉は、弱肉強食を綺麗事で表現したものです。力が世界を支配する恐怖政治であり、そこに庶民の幸福は有りません。色々言いましたが戦いは醜いもので、破壊の先には何も生まれて来ないのです。永遠の憎しみが残るだけです。
]]>
◎さて幕末の戦艦を展示した開陽丸記念館でありますが、まずは二人の人物写真があります。最初は新選組副長であった土方歳三と、開陽丸の艦長である榎本武明であります。宇宙戦艦ヤマトでは艦長が沖田だったような、新選組がらみのキャステイングだったような気がします。
◎上の段の鉄のシャフトですがスクリューシャフトだそうで、この大きな船体をスクリューと帆によって動かしていたと言います。こちらの大きな鯨のような船はオランダで制作されたそうで、本物はこの江差沖で台風の為沈没したと言う事です。それにしても榎本と土方が登場しますね。
◎こちらの戦艦開陽丸は徳川幕府がオランダに発注したもので、後部の二頭のクジラのマークに、中央が向い三つハートになっています。オランダの船大工は徳川の紋章を誤解して、ハートが三つ向かい合っていると思ったのでしょう。この船もメンテが成されずかなり傷んでいました。
]]>
◎こちらのオッサン(私も同じく)は江差で知らない人は居ない、民話「江差の繁次郎」の像であります。乙部から江差に入る前の道の駅にある像で、細かい事は繁次郎のリンク先でどうぞ。江差の道の駅は車中泊した事もあり、何度も投稿しているのでトイレに寄っただけです。
◎今回は江差の海岸にある開陽丸の展示なのですが、一人旅の初期に船の中を見学しました。久しぶりに開陽丸の内部に乗船して、あの頃とどれだけ見方が変わったか検証してみたいと思います。このビルマ調の建物は、私がシンガポールに旅行した時に見た建物に似ています。
◎なぜ開陽丸の資料館がこの形なのか分かりませんが、開陽丸 | 北海道 江差町の印象は私の旅と通ずるものがあります。こちらの二人の写真は知る人ぞ知る人達ですが、思い描いていた目標と違う人生に翻弄された、と言う意味において私の一人旅と似ているので興味があったのです。
]]>◎乙部町のシラフラの意味とは何か調べてみました。滝瀬海岸にあるシラフラは、古い言葉で“白い傾斜地”という意味。 その名のとおり、高さ30メートルほどの真っ白な断崖絶壁が、約500〜600メートルも続いています。東洋のドーバー、北海道にも 白い断崖絶壁「シラフラ」です。
◎空にはちぎれ雲が流れこの地を去る気持ちを引き留めます。この崖下の波打ち際を歩き、この景色を観たのは去年の事でした。まさか一年後にまた訪れるとは思っていませんでした。本来なら来年に来る筈でしたが、台風の襲来で九州旅行を断念して、この場所に居るのが不思議です。
◎人生は先の事が見通せないので、何時この世からサヨナラするのか分かりません。明日の事が解らないので旅をして、こんな奇跡の風景を観たくてまた旅に出ます。命の続く限り体力の続く限り、全世界が見たいなどと贅沢は言いませんが、我が国の絶景は心に留めておきたいのです。
]]>